ストーリー
昨年の秋、ここの陶房を訪れた時、おばあさんが留守番をしていて、話を伺っていると、おばあさんのご主人が制作しているとの事、もう80歳を越えて跡取りも居ないので、”ここも私達の代で終わりだね”と、割合さばさばとした感じで話をしてくだっさったのが印象に残っている。
会津本郷焼(
あいづほんごうやき)とは、
福島県会津美里町(旧会津本郷町)周辺を産地とする
陶器及び
陶磁器である。
歴史
1593年に領主である
蒲生氏郷が薩摩国から瓦工を呼んで
鶴ヶ城の屋根
瓦を製造させたのが始まりである。17世紀中頃に藩主の
保科正之の求めに応じて
瀬戸から陶工・水野源左衛門が呼ばれて本格的に焼き物の基礎を築いた。
1800年には有田や京都で学んだ佐藤伊兵衛が
磁器の製法を伝え現在の会津本郷焼の原型が完成する。現在は
大堀相馬焼(福島県
双葉郡浪江町)についで窯元17と東北2位の規模を誇る、
1993年には
通産省から伝統的工芸品産地として指定される。
特徴
会津本郷焼で使われる釉薬に「飴釉」がある。飴釉は文字通り飴色で光沢を持っている。この飴釉を使った代表的な陶器が「ニシン鉢」で古くからニシンの
山椒漬けに使われてきた。
また、会津本郷焼は磁器を製作している窯元が多いが、とりわけ会津藩主保科正之公が弓隊を配し開拓させた集落地である御弓新田(現在の新町)の唯一の磁器の窯元となった佐竹富太郎の次男富三郎が明治5年に分家し、富三窯を開窯し、4代目富三は、日本原産の花椿をモチーフにし、染付の技術技法とともに会津焼の伝統を現代に生かすデザインを創案した。
関連項目
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陶磁器