波佐見焼 とは
波佐見焼(はさみやき)は長崎県東彼杵郡波佐見町で焼かれる磁器のことである。当初は青磁を生産していたが、やがて呉須で簡単な草花文などを描いた白地にくすんだ染付など、同県の三川内焼とは対照的に、江戸時代から大衆向けの食器を巨大な連房式登窯で多量に焼いてきた。著名な産地である有田の陰に隠れているが、当時から染付磁器の生産量は日本一であったといわれ、18世紀以降の江戸時代の遺跡から出土する磁器は、その大部分が波佐見焼であると推察される。特に波佐見からヒットした商品に「くらわんか碗」と輸出向けの「コンプラ瓶」がある。なお、今日でも食器生産が盛んで、磁器製の茶碗や食器類のシェアは国内トップクラス。1990年代前半には、全国の生活雑器のシェアの1/4-1/3を占めたこともある。中国・東南アジア製の陶磁器が流入したために収益が激減しており、2007年2月には統一ブランド「エレガント」を共同開発して巻き返しを図る。毎年4月上旬には中尾郷限定で「桜陶祭」、4月下旬から5月上旬に町内を挙げての「波佐見陶器祭り」が行われる。
; くらわんか碗
: 波佐見焼最大のヒット作と呼ばれる、簡単な草花文などの絵付を施した磁器。名は、淀川の京都・大坂間にある枚方宿で、商人が小舟で三十石船に近づいて「酒食らわんか餅食らわんか」と囃しながら食事などを売った「くらわんか舟」に由来する。ヒットした最大の理由は、磁器を初めて庶民の手に遍く普及させたためである。それまで磁器は赤絵染付など高価なイメージが強く、庶民にとって高嶺の花であったが、このくらわんか碗は磁器は高いという従来の常識を見事に覆し、庶民の食文化を一段と向上させた。
; コンプラ瓶
: 簡素な染付白磁を用いた徳利型の容器。蘭瓶とも呼ばれ、専ら輸出用に作られた酒瓶である。中には酒や醤油を詰め込み、東インド会社を経由して遠くへ運ばれた。意匠は至って単純で、オランダ語で「日本の醤油」「日本の酒」と書かれているが、横文字の字体がデザイン化されている磁器は他に類を見ない。多くの歴史上人物に愛されたといわれる。余談ではあるが、花瓶と勘違いして開運!なんでも鑑定団に出品した人がいる。鑑定人中島誠之助は正しい用途こそ解説したが、産地が波佐見であることに触れなかった。
; ワレニッカ食器
: 主に給食事業に使用される強化磁器のルーツ。陶石にアルミナを混入し、一般の磁器の3倍の強度を持つ。落下の際に破片が飛散せず、破片処理が容易である。また変色しにくく、耐用年数が長い。名は「割れにくい」を意味する方言から。1987年に町内小中学校の給食用食器として開発され、米飯給食の普及とともに県内外の学校・病院へ出荷された。全国の後発強化磁器メーカーの製品との競合が激しく、シェアは伸び悩んでいる。名称は「ハサミスクールウェア」を経て2000年より「セーフティわん」に改名。
波佐見焼は慶長三年に大村藩主、大村喜前が朝鮮の陶工、李祐慶が村内に登り窯を築いたのが始まり。当初は釉薬を施した陶器を焼いていたが、良質の陶土を発見したことによって磁器生産が中心となった。その後、大衆向けが中心となった理由は、磁器の大量生産を奨励したことが大きい。
当初は三股郷の陶石を原料としていたため、青磁が主力であった。その後、砥石として広く流通していた天草の石が白磁原料に向いていることが判明し、大量に天草砥石を購入して町内全土で磁器生産を行えるようになった。
大衆向け陶磁器を志向したため、大量生産に特化している。中尾上登窯(現在は完全に廃棄撤去済み)の全長は160mを超える。これは国内どころか世界的に見ても最大級の窯である。
一方で、隣の有田・三川内との薪炭材をめぐる諍いも激しくなった。三藩が接する幕の頭(まくのとう)と呼ぶ山では、互いに領地を侵して薪を盗んでくることも日常的で、山の中で乱闘・殺し合いも起きる有様だった。結果、三藩の協議によって領地の見直し交渉が何度も実施されることになる。幕の頭山頂に立つ三角柱の「三領石(さんりょうせき)」は、薪をめぐる陶工たちの争奪戦からの産物である。
波佐見の代表的な民謡である「波佐見節」は、2枚一組、計4枚の小皿をカスタネット状に打ち鳴らして踊るものであるが、小中学校では現代風にアレンジしなおした「新波佐見節」が主流になっている。
● 唐津焼
主な作品
; くらわんか碗
: 波佐見焼最大のヒット作と呼ばれる、簡単な草花文などの絵付を施した磁器。名は、淀川の京都・大坂間にある枚方宿で、商人が小舟で三十石船に近づいて「酒食らわんか餅食らわんか」と囃しながら食事などを売った「くらわんか舟」に由来する。ヒットした最大の理由は、磁器を初めて庶民の手に遍く普及させたためである。それまで磁器は赤絵染付など高価なイメージが強く、庶民にとって高嶺の花であったが、このくらわんか碗は磁器は高いという従来の常識を見事に覆し、庶民の食文化を一段と向上させた。
; コンプラ瓶
: 簡素な染付白磁を用いた徳利型の容器。蘭瓶とも呼ばれ、専ら輸出用に作られた酒瓶である。中には酒や醤油を詰め込み、東インド会社を経由して遠くへ運ばれた。意匠は至って単純で、オランダ語で「日本の醤油」「日本の酒」と書かれているが、横文字の字体がデザイン化されている磁器は他に類を見ない。多くの歴史上人物に愛されたといわれる。余談ではあるが、花瓶と勘違いして開運!なんでも鑑定団に出品した人がいる。鑑定人中島誠之助は正しい用途こそ解説したが、産地が波佐見であることに触れなかった。
; ワレニッカ食器
: 主に給食事業に使用される強化磁器のルーツ。陶石にアルミナを混入し、一般の磁器の3倍の強度を持つ。落下の際に破片が飛散せず、破片処理が容易である。また変色しにくく、耐用年数が長い。名は「割れにくい」を意味する方言から。1987年に町内小中学校の給食用食器として開発され、米飯給食の普及とともに県内外の学校・病院へ出荷された。全国の後発強化磁器メーカーの製品との競合が激しく、シェアは伸び悩んでいる。名称は「ハサミスクールウェア」を経て2000年より「セーフティわん」に改名。
歴史
波佐見焼は慶長三年に大村藩主、大村喜前が朝鮮の陶工、李祐慶が村内に登り窯を築いたのが始まり。当初は釉薬を施した陶器を焼いていたが、良質の陶土を発見したことによって磁器生産が中心となった。その後、大衆向けが中心となった理由は、磁器の大量生産を奨励したことが大きい。
当初は三股郷の陶石を原料としていたため、青磁が主力であった。その後、砥石として広く流通していた天草の石が白磁原料に向いていることが判明し、大量に天草砥石を購入して町内全土で磁器生産を行えるようになった。
大衆向け陶磁器を志向したため、大量生産に特化している。中尾上登窯(現在は完全に廃棄撤去済み)の全長は160mを超える。これは国内どころか世界的に見ても最大級の窯である。
一方で、隣の有田・三川内との薪炭材をめぐる諍いも激しくなった。三藩が接する幕の頭(まくのとう)と呼ぶ山では、互いに領地を侵して薪を盗んでくることも日常的で、山の中で乱闘・殺し合いも起きる有様だった。結果、三藩の協議によって領地の見直し交渉が何度も実施されることになる。幕の頭山頂に立つ三角柱の「三領石(さんりょうせき)」は、薪をめぐる陶工たちの争奪戦からの産物である。
波佐見の代表的な民謡である「波佐見節」は、2枚一組、計4枚の小皿をカスタネット状に打ち鳴らして踊るものであるが、小中学校では現代風にアレンジしなおした「新波佐見節」が主流になっている。
関連項目
● 唐津焼